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  • 公開日時 : 2024/01/30 09:17
  • 更新日時 : 2024/02/19 10:54
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スバルを知る「スバル360」(旧:スバル博物館 より転載)

回答

■最小限のチューニングによる挑戦

いまからおよそ40年前の1958年3月3日、日本市場に個性的で愛らしい乗用車が登場しました。それがスバルブランドの起源となった乗用車「スバル360」です。この「スバル360」は、1955年に通産省が提示した乗用車の普及促進政策に呼応する形で開発されたものです。


当時の日本では、まだクルマといえば商用車がほとんどであり、一般家庭にとって乗用車を持つことは夢のような時代でした。そこで国産乗用車の開発/普及を進め、それにより日本の自動車産業を育成していこうという方針が打ち出されたのです。手頃な価格で買える、しかも小型で高性能なクルマという課題は技術的にも難しく、敬遠するメーカーも少なくはありませんでした。しかし航空機作りをルーツとするスバルは、その誇りと高水準の技術力をもって難しいテーマに挑戦。他社に先駆け「スバル360」を開発し、日本の自動車史上に大きな足跡を残したのです。


排気量356ccの強制空冷2サイクル2気筒エンジン。駆動方式は後輪駆動。そして車両重量385kg。随所に創意工夫をこらした「スバル360」は、4人乗りで最高速度83km/hを発揮しました。しかも走行安定性、乗り心地、高速時の操縦安定性などは小型4輪車と比べても技術的には何等遜色はなく、自動車関係者および報道関係者は「世界水準をいくミニカー」と、こぞって絶賛したものです。「スバル360」には、そのかわいい姿から「てんとう虫」という愛称が与えられ、登場後12年にわたり長く人々に親しまれ続けました。根強いファンは少なくはなく、今でも「スバル360」が街中を走る姿はしばしば目にすることができます。

       

<SPEC(昭和33年5月発売当時)>

全長 2990mm
全幅 1300mm
全高 1380mm
重量 385kg
エンジン型式 EK31型空冷直列2気筒2ストローク
排気量 356cc
最高出力 16ps/4500rpm
最大トルク 3.0kg-m/3000rpm
懸架装置 フロント:トレーリングアーム式独立懸架
リア:スイングアクスル式独立懸架
 
 
■スバル360ストーリー
排気量わずか360ccのかわいらしいクルマスバル360は、その小さな車体に豊かな創性と合理性、高い性能と大きな夢を盛り込んでいました。1958年の誕生以来、R2にバトンタッチするまでの約12年間にわたり、大きなモデルチェンジをすることもなく作り続けられたスバル360は、日本のモータリゼーションの発展に大きく貢献したと言えるでしょう。ここではそんなスバル360が、現役で活躍していた12年の間に残してきたさまざまなエピソードを紹介して行きましょう。
 
モータースポーツでの活躍

第2回日本グランプリ自動車レース
スバル360 T-1クラスワンツーフィニッシュ
 
1960~1963年(昭和35~38年)にかけて、「スバル360」の成功に刺激され、各社から軽自動車が続々と発売され、軽自動車ブームが到来した。それらのライバルとの商品性の違いをきわめて明確に実証したのが1964年5月に鈴鹿サーキットで開催された第2回日本グランプリであった。大会2日目に開催された排気量400cc以下のT-Iクラスに出場した「スバル360」は、スズライト360、マツダキャロル360らの強敵に大差をつけて勝利し、連続高速走行性能を実証した。
 
104.27km/h
 
上の数字は、グランプリレースの行われた鈴鹿サーキットで出した「スバル360」優勝車の平均時速。

   

桶谷さんのヨーロッパドライブ


スバル450がヨーロッパを走破
1960年(昭和35年)、発売前の4台のスバル450が、旧ソ連を含む12の国々を歴訪した。
1台は運輸省技官の宮本氏が5000キロ、他の3台は東京工業大学の桶谷氏と同大学自動車部の学生が15000キロを無事走破して、スバルの高性能と耐久性を世に示したばかりでなく、日本の技術を広く世界に知らしめることになった。

 

■スバル360ができるまで

スバルが世に初めて送り出した名車スバル360。かわいらしいボディながら、乗用車に負けない走行性能と乗り心地を持つこのクルマが、まだ舗装が行き届いていなかった日本の道路をどこまでも走り続けるその姿は人々を驚かせました。そして、日本のモータリゼーションの先駆けとなって、デビュー以降12年間に渡って作り続けられる傑作車となったのです。スバル360の息吹はデビューからさかのぼること3年前の昭和30年(1955年)12月9日に芽生えました。試作段階での名称は“K-10”。ここでは、そのK-10がスバル360としてデビューするまでの物語をご紹介しましょう。

 

K-10計画


昭和30年12月9日、伊勢崎製作所で”4輪車計画懇談会”が開かれ、軽自動車の生産を公式のテーマとして検討することになりました。そしてつけられたコードネームが”K-10”でした。
K-10試作の主要な課題は、車体の軽量化、生産の簡易さ、大人4人の充分な車体スペースの確保、快適な乗り心地の実現、そして軽量で高出力・高耐久性エンジンを開発することにありました。
 
軽自動車の枠のなかで、製造原価の低減と小型車並みの性能の実現という相反する要求を同時に満たし、ひとつの設計思想のなかにまとめあげるのは容易ではありませんでしたが、スバルのエンジニアは、この”大きな冒険”に挑戦したのです。
 
車重の軽量化はモノコックボディを採用したことを初め、鋲一本一本の頭を平らにすることで軽量化を図ったという、かつての航空機技術が随所に生かされました。最大の課題である乗り心地は、”悪路を時速60kmで飛ばせる車”を合い言葉にしましたが、車両重量、懸架装置、スプリングなどミニカーの場合は多くの悪条件が重なって困難を極めました。しかし、理想のミニカー造りに情熱を賭けた技術者たちは、ついに当時の国産自動車には全くみられなかった4輪独立懸架装置を開発しこれを解決したのです。エンジンの試作も難問を極めましたが、走行テストの最大目標であった赤城山の新坂平(全長14km、平均勾配13度、でこぼこした石ころばかりの悪路)の全力登板に成功するとともに、運輸省の認定テストでも16.7馬力をマークし高出力化を達成しました。しかも、その燃費は1リットルあたり26kmで、小型車のそれを大幅にしのぐ経済性を実現しました。ボディースタイルは、「国民車を意識したこの種の車は、時代感覚を備えながら、しかも時代を超えた長い期間、モデルチェンジを必要としないスタイルをとるべきである」との考え方をもとに、佐々木達三氏を中心として、設計技術者、生産技術者、デザイナーが一緒になって検討し、倉庫の片隅で着々と進行していきました。
 
こうして、寝ても覚めても難題との解決に取り組み、ベストをつくした結果、全長2.99m、全幅1.3m、全高1.38m、車両重量385kgの枠内に、モノコック構造、空冷2サイクルエンジン、RR方式、四輪独立懸架、樹脂製ルーフなど数々の画期的な技術を採用し、乗り心地、操縦性、安定性など、小型車 に劣らない性能をあげたK-10は”スバル360”と命名され、昭和33年3月3日に人々の前に姿を現したのです。

 

■スバル360モデルの変遷

1958年に誕生したスバル360は大きなモデルチェンジをせず12年間にわたって作り続けられました。とは言っても、決して全く同じクルマを作り続けていたわけではありません。より完璧な軽自動車を目指して、外装、内装など細部にわたる変更が幾度となく繰り返され、年を経るごとにクルマとしての熟成が着実に進んで行ったのです。


現状に決して満足することなく、市場の声に耳を傾けながら、より良いものを目指して限りない努力を重ねていったからこそ、12年もの間、高い評価を得ることが出来たのではないでしょうか。ここでは、そんなスバル360のモデルの変遷を辿っていきます。

 

ボディの変遷


 

ドア・ウィンドウの変遷


 

ハンドル・ダッシュボードの変遷


 

シート廻りの変遷


 

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